SNSを開けば、今日も誰かが「正義」の鉄槌を振り下ろしている。
その一つ一つに怒りが湧き、声を上げたくなる気持ちは、痛いほど分かる。しかし、私たちがその正義感に熱狂している裏で、ほくそ笑んでいる者たちがいるとしたら…?
「またSNSで混乱が起きている」「やはり個人の発信は危険だ」
マスコミや一部の政治家たちが、そうした声を口実に、私たちの口を封じるための『SNS規制』という名の檻を着々と準備しているとしたら、あなたはどう感じるだろうか。
皮肉なことに、私たちが振りかざす「正義の鉄槌」の一振り一振りが、結果として私たち自身の“伝家の宝刀”——すなわち『言論の自由』を、奪われることになるのかもしれない。
この記事では、なぜ私たちの「正義感」が、図らずも権利を失う結果を招いてしまうのか。そのシステム的な罠を解き明かし、本当に守るべき私たちの武器を、いかにして賢く使うべきかを考えていきたい。
【第1章】なぜ私たちは、いとも簡単に「断罪」に参加してしまうのか?
ネットニュースやSNSで流れてくる、誰かの「罪」を告発する記事。 それを見聞きしたとき、私たちはなぜ、いとも簡単に「それは許せない」と感じ、批判の声を上げる側についてしまうのでしょうか。
もちろん、それにはもっともな理由があります。
一つは、過去に週刊誌などのメディアが、警察や他の権力機関が見過ごしてきた大きな不正や腐敗を暴いてきたという「実績」があるから。私たちは「メディアは権力の監視役だ」という信頼を、心のどこかで持っています。
また一つは、公的な発表や当事者の声明だけでは、どうも物事の全体像が見えないという経験から。私たちは、隠された部分を補完してくれる「別の視点」を、本能的に求めてしまいます。
そして、根底には、正義や公平さといった「倫理観」があります。人として、社会として、間違ったことは正されるべきだ。その純粋な思いが、私たちを行動に駆り立てるのです。
しかし、本当にそれだけでしょうか。
たとえ相手に非があったとしても、一つの記事や数分の動画をきっかけに、見ず知らずの他人が寄ってたかって一人の人間の社会的な生命を奪うほどの「私刑(リンチ)」にまで発展するのは、やはり正常とは言えません。
私たちの純粋な「正義感」を、いつの間にか過激な「攻撃性」へと変貌させてしまう、何か別の力が働いているとしたら…?
実は、私たちの多くが気づかないうちに、社会には巧妙な「システム」が張り巡らされています。それは私たちの経済的なインセンティブと心理的な弱さにつけ込み、私たちを無意識のうちに「断罪」へと参加させてしまう、強力な罠なのです。
【第2章】あなたを「攻撃」へと駆り立てる、社会に埋め込まれた2つのエンジン
私たちが純粋な正義感から踏み出した一歩を、いつの間にか過剰な「攻撃」へと変えてしまう。そんな社会に埋め込まれた、強力な2つのエンジンがあります。一つは「経済」のエンジン、もう一つは「心理」のエンジンです。
エンジン1:あなたの「怒り」がカネになる、『アテンション・エコノミー』の罠
少し考えてみてください。あなたが普段見ているネットニュースやSNSは、なぜ無料で利用できるのでしょうか?
その答えは、運営企業が「あなたの注目」を広告主へ売ることで、莫大な利益を得ているからです。これを「アテンション・エコノミー(注目経済)」と呼びます。
この仕組みの中で、最も「注目」を集めやすい、つまり最も「儲かる」感情が何かご存知でしょうか。 それは、「怒り」や「対立」です。
穏健で理性的な意見よりも、過激で、誰かを断罪するようなコンテンツのほうが、私たちの目は釘付けになり、コメントやシェアをしたくなります。プラットフォームのAIはそれを「ユーザーが求めている人気のコンテンツだ」と判断し、さらに多くの人のタイムラインへと拡散させます。
つまり、そこには「過激な見出しで誰かを断罪する記事を書くほど、ビジネスとして成功しやすい」という、抗いがたい経済的なインセンティブが存在するのです。個々の記者の志とは別に、システム全体が「怒りの量産」を後押ししている。これが一つ目のエンジンの正体です。
エンジン2:心地よい「正義」に溺れる、『物語とエコーチェンバー』の罠
もう一つのエンジンは、私たちの心の中にあります。
私たちは、複雑な現実を理解するのが苦手です。その代わりに、「正義の味方が、巨悪を討つ」といった、単純明快な「物語」を好む傾向があります。著名人のスキャンダルは、この「勧善懲悪の物語」の格好の材料となり、私たちは安心して正義の側にいる自分に酔いしれることができます。
さらに厄介なのが、SNSの「エコーチェンバー(反響室)」という現象です。
あなたのタイムラインは、あなたが見たいと思う情報、つまり「あなたの意見と同じ意見」で満たされるように、AIによって最適化されています。批判的な投稿に「いいね」を押せば、さらに多くの批判的な投稿が表示される。
その結果、あなたはまるで自分の意見が「世の中の総意」であるかのように錯覚します。異論や慎重な意見はノイズとしてかき消され、閉鎖的な空間の中で「正義」はどんどん純化し、先鋭化していくのです。
このように、「儲けたい」という経済システムと、「信じたい」という人間の心理システム。この2つのエンジンが強力に組み合わさることで、私たちの「正義感」は、自分でも気づかぬうちに、社会的なリンチの加害者へと変貌させられてしまうのです。
【第3章】「正義」が止まらなくなる無限増殖ループの正体
第2章で見た「経済」と「心理」の2つのエンジンは、それぞれ独立して動いているわけではありません。これらは互いに影響し合い、一度回り始めたら誰も止められない、恐ろしい「無限増殖ループ」を形成します。
このループの構造は、こうです。
【メディア側のループ(経済エンジン)】
- メディアが、あなたの「怒り」を煽る記事を投稿する。
- あなたが反応し、注目(PV)が集まることで、メディアは儲かる。
- 「儲かった」という成功体験から、メディアはさらに過激な記事を生産する。
- (1.に戻る)
【あなた側のループ(心理エンジン)】
- SNSのAIが、あなたの「正義感」に合う記事ばかりをタイムラインに表示する。
- あなたは「みんなも同じ意見だ」と確信を深め、安心して批判に参加する。
- あなたの「いいね」やコメントが、AIに「この記事は人気だ」と学習させる。
- (1.に戻る)
この2つのループは、互いを加速させます。
あなたが心理エンジンの中で「正義」への確信を深め、投稿に反応すればするほど、メディア側の経済エンジンは「儲かる」ので、さらに過激な燃料(記事)を投下してきます。そして、その燃料が、さらにあなたの心理エンジンを激しく回転させる…。
この巨大なシステムの渦に巻き込まれてしまえば、個人の「ちょっとおかしいかも?」という理性や自制心など、いとも簡単に吹き飛ばされてしまいます。
問題の根源は、特定の誰かの悪意にあるのではありません。私たち一人ひとりの小さな正義感が、この巨大な社会システムによって、怪物のような「攻撃性」へと育て上げられてしまう。それこそが、この問題の最も恐ろしい本質なのです。
【第4章】これは陰謀論ではない。私たちの「伝家の宝刀」に迫る、現実の危機
「社会のシステムが、私たちの正義感を暴走させる」
ここまでの話を聞いて、あなたは「少し大げさではないか?」と感じたかもしれません。しかし、これは単なる思考実験や未来予測ではありません。私たちがSNSでの「断罪」に熱狂している、まさにその裏側で、「伝家の宝とう」に手をかけようとする動きは、現実に始まっています。
現在、政府・与党である自民党では、平将明大臣らが中心となり、「AIの進化と実装に関するプロジェクトチーム」などが、SNS上の偽情報や世論操作への対策を本格的に議論しています。
もちろん、彼らが掲げる大義名分は「外国勢力による選挙妨害や、悪質な偽情報から、日本の民主主義を守るため」という、一見すると非常にまっとうなものです。
しかし、ここで私たちは一歩立ち止まり、深く問いかける必要があります。 この動きは、本当にただ「民主主義を守る」ためだけのものでしょうか。その裏に、別途の狙いが隠されていないでしょうか?
例えば、
- 偽情報を監視・認定するための新たな政府機関が創設され、それが新たな省庁の権益や「天下り先」の温床になる可能性はないか?
- 「信頼できる情報の発信者」を認定する制度が導入され、それが既存の大手メディアに新たな「お墨付き」と特権を与えることにはならないか?
思い出してください。この導入文で、私たちはこう問いかけました。 『マスコミや一部の政治家たちが、そうした声を口実に、私たちの口を封じるための『SNS規制』という名の檻を着々と準備しているとしたら…?』
その「もしも」は、もう目の前にあるのです。
そして、最も皮肉なことは、私たち自身がSNS上で繰り広げる過剰な「正義の鉄槌」こそが、彼らにとって「やはり規制は必要だ」と国民を説得するための強力な口実になっているだけではなく、その裏で新たな利権構造を築くための、絶好の隠れ蓑(みの)を提供してしまっているという事実なのです。
舞台のセットは整えられ、脚本も書かれつつあります。その主役が「言論の自由の死」という悲劇でないことを、誰が保証できるでしょうか。
【結論】“伝家の宝刀”を、賢く使うために
私たちはこの記事を通じて、SNSでの過剰な攻撃がなぜ生まれるのか、その背景にある「経済」と「心理」のエンジン、そしてそれらが作る「無限増殖ループ」を見てきました。さらに、そのループが、私たちの最も大切な権利である「言論の自由」を脅かす規制の口実となっている現実も確認しました。
そして今、まさにこの記事を書いている最中にも、著名人への過剰なSNS批判をきっかけに、規制を求める声がリアルタイムで高まっています。私たちの危惧は、もうすでに現実なのです。
問題の根源は、特定の誰かの悪意にあるのではありません。私たち一人ひとりを、意図せず攻撃へと駆り立てる社会の「システム」にあります。
しかし、忘れてはならないのは、その巨大なシステムを動かしている燃料が、私たち一人ひとりの「クリック」や「いいね」、そして「投稿」であるという厳然たる事実です。私たちは被害者であると同時に、システムの加担者でもある。この難しい現実から、目を背けることはできません。
では、どうすればいいのか。
私たちが「伝家の宝刀」である言論の自由を、権力者の都合の良い「規制」から守るためにできることは、ただ一つ。
その刀を、賢く使うことです。
誰かの罪を告発する威勢のいい言葉に、安易に飛びつかない。 自分のタイムラインに流れてくる「正義」が、本当に社会全体の正義なのか、一度立ち止まって疑ってみる。 怒りにまかせて鉄槌を振り下ろす前に、その一振りが、巡り巡って自分自身の自由を奪う刃にならないか、想像してみる。
必要なのは、思考停止の「自粛」ではありません。 自身の感情や、目の前の情報を客観視し、その裏にある構造まで見ようとする「知的な慎重さ」です。
その小さな一歩が、暴走する社会システムに差し込む、唯一のブレーキとなります。私たちの「伝家の宝刀」の未来は、私たち自身の、その指先にかかっているのです。
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