【序章】おなじみの批判、その「違和感」の正体
「議員の数が多すぎる。もっと減らせばいいのに」
テレビやネットで不祥事が報じられるたび、私たちの間から必ず湧き上がるこの言葉。税金ばかりたくさん取って高い給料を受け取っている彼らを見ると、そう言いたくなる気持ちは痛いほど分かる。
だが、少しだけ立ち止まって考えてみてほしい。 この国が抱える数々の問題は、本当に「議員の数」を減らせば解決するのだろうか?
実は、このおなじみの批判に「そうだ、そうだ」と頷く前に、私たちが知っておくべき「不都合な事実」がある。この記事を読めば、「議員が多すぎる」という批判がいかに問題の本質からズレているか、そして、私たちが本当に議論すべきことは何かが見えてくるはずだ。
【第1章】データが示す衝撃の事実:「議員が少ない」日本
「日本の議員は多すぎる」――。 多くの人が信じて疑わないこの「常識」は、しかし、客観的なデータの前にもろくも崩れ去る。
G7(先進7カ国)で、国会議員一人あたりが代表する国民の数を比較してみよう※。
- 日本(衆議院):約27万人
- イギリス:約10万人
- フランス:約12万人
- ドイツ:約11万人 (※アメリカは約77万人と例外的に多いが、他国は10万人台でひしめく)
驚くべきことに、日本の議員一人あたりが背負う人口は、他の先進国と比べて2倍以上も多い。これは、国民一人ひとりから見れば、自分たちの声が届きにくい「議員が少ない」状態にあることを意味している。
「数が多すぎる」という前提そのものが、事実ではなかったのだ。
では、なぜ私たちはこれほどまでに「多すぎる」と感じてしまうのだろうか? その答えは、彼らの「数」ではなく、別の場所にある。すべての違和感の根源、それは日本の議員を取り巻く歪な「コスト構造」にあったのだ。
【第2章】問題の核心は「コストパフォーマンス」の悪さにある
第1章で見たように、日本の議員は「数」が多いわけではない。では、なぜ私たちはあれほど「多すぎる」と感じ、不満を抱いてしまうのか?
すべての違和感の根源、それは日本の議員を取り巻く歪な「コスト構造」にある。 一言でいえば、支払っているコストに対して、得られるパフォーマンスが圧倒的に低いのだ。
まず「コスト」を見てみよう。日本の国会議員の歳費(給与)は、国民の平均所得と比べても、G7諸国の中で突出して高い水準にある。あるシンクタンクの調査では、世界第3位と指摘されるほどだ。
次に「パフォーマンス」はどうか。私たちは、その高い報酬に見合うだけの質の高い政策が、議会から次々と生み出されていると実感できているだろうか。むしろ、重要な法案の多くを官僚に依存し、国会では揚げ足取りのような議論が繰り返される光景に、ため息をつくことの方が多いのではないか。
ここに、私たちが抱く不満の正体がある。
- 多くの人が抱く不満(Before): 「議員は数が多すぎて、給料も高すぎる!」
- 問題の本当の構造(After): 「議員の数はむしろ少ない。しかし、一人当たりの給料が異常に高く、その『コスト』に見合うだけの『パフォーマンス』が全く出ていない。これこそが問題の本質だ。」
問題は「議員の数」ではない。世界一級の報酬を受け取りながら、なぜ日本の議員のパフォーマンスは上がらないのか?その根本原因を解き明かす鍵こそ、次章で解説する「知のインフラ」なのである。
【第3章】なぜ日本の議員は「個人商店」から抜け出せないのか?
世界一級の報酬を受け取りながら、なぜ日本の議員のパフォーマンスは上がらないのか。 その答えは、個人の資質にあるのではない。政策立案を支えるための、あまりにも脆弱な「知のインフラ」という構造的問題にこそある。
「知のインフラ」とは、質の高い政策を生み出すための、専門スタッフ、調査機関、データといった、議員の活動を支えるシステム全体のことだ。このインフラにおいて、日本は他の先進国から大きく立ち遅れている。
アメリカの議員と比較すれば、その差は歴然だ。 アメリカの議員は、年間平均で1.5億円以上にもなる「議員代理経費(MRA)」という潤沢な公費予算を使い、自らの判断で十数人もの政策秘書、法律顧問、広報担当といった専門スタッフを雇用する。まさに「自分だけのシンクタンク」を率いて、政府と対峙しているのだ。 さらに、議会には政府から独立した「議会調査局(CRS)」のような数千人規模の専門家集団が控え、議員の依頼に応じて中立的な調査・分析レポートを迅速に提供する。
対して、日本の議員はどうだろうか。 税金で雇える公設秘書は最大3人。その多くは、複雑な政策分析よりも、地元での後援会活動や有権者への対応に時間を割かざるを得ないのが現実だ。議会の調査機能もCRSに比べればはるかに小規模で、議員が頼れる武器はあまりに少ない。 政策立案、法案作成、地元活動、資金集めまで、すべてを自分と少数のスタッフでこなす。これが、日本の議員が陥っている「個人商店」という現実だ。
そして、この構造問題の象徴が、毎月100万円が支給される「調査研究広報滞在費(旧文通費)」である。使途の報告義務がないこの経費は、「知のインフラ」への投資には繋がらず、国民の不信感を煽る「第二の給与」と化してしまっているのだ。「調査研究広報滞在費(旧文通費)」をきちんと使っていると言い切れる議員もいるだろうが、「第二の給与」と国民に思われない議員は、国民に成果を示すか、それができなければ使途の報告義務が無くても報告した方がいいのではないだろうか?
【終章】「安い政治」が国を滅ぼす ― 今、私たちが持つべき視点
「知のインフラ」を持たない「個人商店」の議員は、いったい何に頼らざるを得なくなるのか。 答えは一つ。法案の作成から政策の根幹まで、巨大な専門家組織である「官僚(霞が関)」に依存することになる。これこそが、日本の「政治家が決められない」構造の正体だ。
特に、この構造は長期化させてしまったデフレ経済と無関係ではないだろう。 自前の経済専門チームを持たない議員たちが、財政健全化を至上命題とする財務省のロジックに、どうやって対抗できるというのか。官僚機構のシナリオを覆すだけの、独自のオルタナティブな政策を立案する力を持たない。これこそが、この国の停滞を長引かせてきた構造的要因の一つではないか。
この現実が見えたとき、私たちは一つの逆説に気づく。 「議員の給料を下げろ」「経費を削れ」という一見正しそうな主張は、結果として議員をさらに丸裸にし、官僚への依存度を高めてしまう危険性をはらんでいるのだ。
今、私たちが求めるべきは、「安い政治」ではない。 議員一人ひとりが巨大な官僚組織と対等に渡り合い、国民のための質の高い政策を生み出すための「知のインフラ」という名の、未来への投資である。 経費の使い道を完全に透明化した上で、それを専門スタッフの雇用や調査委託に充てられるように制度を改める。私たちの1票をより意味あるものにするための一つの提言だ。
G7内で比較して「安かろう悪かろう」の政治を見直す時期にきているのではないろうか?
※なぜ衆議院の比較なのか?: 国際比較では、同じ機能を持つ機関同士を比べるのが基本です。各国の「下院」(日本の衆議院など)は、国民の人口に応じて直接選挙で選ばれる点で共通しており、比較に適しています。一方で「上院」(日本の参議院など)は、イギリスの貴族院のように非公選であったり、国によって権限や役割が大きく異なるため、単純比較するとかえって実態を見誤る可能性があります。そのため、本記事では最も比較に適した「下院」のデータを用いています。
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