【提言】選挙の「だまされた」を無くす、シンプルな方法――『同意に基づく検証システム』の提案

社会構造・経済システム

序章:またか、という徒労感の先へ

またか…。多くの人がそう呟いたに違いない。ある政治家の「経歴詐称」が報じられた日のことだ。

「もし選挙の時にこの事実を知っていたら、投票することはなかったのに…」

そう後悔しても、もう遅い。私たちの代表として、何年間も政治を担わせてしまった後なのだ。そもそも、本人は「勘違いだった」と釈明するが、それは本当は「騙していた」のではないか?

そんなニュースに、私たちは何度、深いため息をついてきただろう。民主主義の根幹が揺らいだかのような、鈍い痛みとともに。なぜ、私たちの選挙制度は、これほどまでに単純な「客観的な事実と異なる経歴」に対して無力に見えるのか。

「選管は何をしているんだ」――その怒りは、民主主義を信じる市民として当然の感情だ。しかし、単に制度の「門番」たるべき選挙管理委員会を非難するだけでは、問題の根源にはたどり着けない。

この根深い問題を解き明かすには、一度、私たちの怒りを脇に置き、この国の選挙制度が「なぜ、そのように設計されたのか」という、法の奥底に眠る設計思想(フィロソフィー)にまで至る旅に出る必要がある。そして、その旅路の果てにこそ、私たちは絶望ではなく、実行可能な一つの希望を見出すことになるだろう。

第1章:なぜ「番人」は調査しないのか?――国家が恐れた「もう一つの悪意」

序章で湧き上がった「選管は何をしているんだ」という怒り。その答えは、彼らが怠慢だから、では断じてない。選挙管理委員会の権限が、意図的に「手続きの管理」に限定されているからだ

彼らの仕事は、選挙が公正かつ正確に行われる環境を、徹頭徹尾、事務的に支えることにある 。有権者を名簿に登録し 、投票や開票のプロセスを厳格に執り行い 、立候補の届け出を形式的に受理する 。彼らは選挙という舞台の「審判」であって、候補者の身辺を調査する「探偵」ではないのだ

なぜ、これほど権限が限定されているのか。

それは、制度の設計者たちが、ある重大なトレードオフの上で、苦渋の選択をしたからに他ならない。

想像してみてほしい。もし、選管に候補者の学歴や職歴、さらにはプライベートに至るまで網羅的に調査できる強大な権限が与えられたら、何が起こるか。それは、特定の政治勢力が、対立候補の立候補を妨害するためにその権力を濫用する危険性をはらむ、恐ろしい「監視機関」の誕生を意味する

身分や思想信条にかかわらず、誰もが公職に就く機会を得られるという民主主義の根幹的価値「立候補の自由」は、国家による厳格な事前審査によって、著しく脅かされることになる 。新たな挑戦者が萎縮し、政治が一部の権力者だけのものになってしまうかもしれない

制度設計者は二つの「悪意」を天秤にかけた。一つは、私たちの目の前にある「候補者の虚偽がまかり通ってしまう悪意」。もう一つは、より見えづらく、しかし一度解き放たれれば民主主義そのものを蝕む「国家が、虚偽の調査を口実に、都合の悪い挑戦者を排除する悪意」だ。

そして、日本の選挙制度は、後者を避けることを選んだ。それは、完璧な候補者プロファイルという「理想」を手放してでも、権力濫用のリスクを避け、選挙プロセスそのものを政治的介入から守ることを優先した、苦渋の決断だったのだ。

第2章:他国に完璧な答えはあるか?――世界の試行錯誤

日本の選挙制度が、権力の濫用を恐れるあまり、候補者の信頼性検証を外部の主体(メディアや有権者)に委ねる「分散型」の構造になっていることは、第1章で明らかにした。では、このやり方は世界的に見て特殊なのだろうか。あるいは、もっと優れた「答え」を持つ国は存在するのだろうか。

結論から言えば、この問題に完璧な「正解」を持つ国は、どこにも存在しない。各国がそれぞれの歴史と文化の中で、異なるアプローチを試みているのが現実だ。

アメリカやイギリスに見られるのは、日本と似た「分散型」だが、その熱量と速度が大きく異なるモデルだ。公的な選挙管理機関の役割は、主に選挙資金の監視やプロセスの管理に限定されている。その代わり、候補者の検証という重責を担うのは、強力なメディアによる調査報道と、対立候補陣営による徹底的な「身体検査」だ。嘘が暴かれれば、即座に致命的な政治的ダメージに繋がる。国家ではなく「社会の監視圧」によって規律を保とうとする姿勢が、より鮮明なのだ。

一方、フランスは少し違うアプローチを取る。そこには「公職生活透明化高等機関(HATVP)」という、候補者の資産や利益相反を監視する、非常に強力な国家機関が存在する。これは、学歴や職歴そのものではなく、「不適切な金銭的利益を得ていないか」という点に国家が強くコミットする、特定の領域に特化した監視モデルと言える。

さらにドイツでは、「称号」の重みが社会的な規範として機能している。博士号などの学術的権威は絶対であり、過去に論文の盗用が発覚して、大臣が辞任に追い込まれた事例は一度や二度ではない。これは選管が事前にチェックするのではなく、社会全体が持つ厳しい倫理観と、発覚後には司法が機能することで、結果的に候補者の経歴への信頼性を担保するモデルだ。

こうして世界を見渡すと、どの国も「有権者の知る権利」と「国家による過度な干渉の防止」という、同じジレンマの狭間で、悩み、試行錯誤を続けていることが分かる。完璧な銀の弾丸は、まだ誰も見つけられていないのだ。

第3章:我々の提言――「同意に基づく検証システム」

世界中の民主主義国家が、同じジレンマの海で試行錯誤を続けている。では、私たちは永遠にこの「いたちごっこ」を続けるしかないのだろうか。

いや、そうではない。 現状を嘆き、ただ批判するだけでは、何も変わらない。私たちはここに、現状の制度設計が抱える根本的なジレンマを乗り越えるための、具体的かつ実行可能な一歩として「同意に基づく検証システム」を提言したい。

その仕組みは、驚くほどシンプルだ。

  1. 立候補の際に、候補者は「経歴(学歴、職歴等)の公式な検証に同意しますか?」という、完全に任意な選択肢を与えられる。
  2. 選挙管理委員会は、同意した候補者についてのみ、本人から提供された書類に基づき、大学や企業等へ事実確認を行う。
  3. その結果は、全ての有権者に届けられる「選挙公報」に、誰にでも分かる形で明記されるのだ。

【未来の選挙公報(イメージ)】

■ A候補

  • 学歴:〇〇大学 卒業 ✅(本人同意に基づき検証済み)
  • 職歴:株式会社〇〇 勤務 ✅(本人同意に基づき検証済み)

■ B候補

  • 学歴:△△大学 卒業 ⚠️(本人の同意が得られなかったため未検証)

このシステムの核心は、コロンブスの卵のように発想を転換し、国家が権力を振りかざして候補者の人権を侵害するリスクを、完全に回避している点にある。検証を行うか否かの鍵は、あくまで候補者本人の「同意」という自由な意思に委ねられているからだ。

しかし、その効果は絶大だろう。「⚠️」マークのついた候補者は、有権者やメディアから「なぜ、あなたは同意しないのですか?」という、当然の問いを投げかけられることになる。それは、国家権力による締め付けではない。民主主義社会における、健全で力強い「透明性への圧力」として機能するのだ。

もちろん、このチェックマークをどう判断するかは、完全に有権者一人ひとりの自由に委ねられる。「✅」の誠実さを信頼する一票もあれば、「⚠️」のリスクを承知の上で、それでもなお候補者の政策や理念に未来を託す一票も、等しく尊重されるべきだ。

重要なのは、後者の投票には「諦め」や「騙された」ではなく、主体的な「選択への自己責任」が生まれることである。もし後日、その候補者の経歴に偽りが見つかったとしても、それはもはや有権者が一方的に「騙された」という物語ではない。自らが引き受けたリスクが、現実になったというだけの話なのだ。

このシンプルなチェックマークは、「騙された」という有権者の絶望を減らし、自らの意思で候補者の誠実さを見極めるための、強力な武器となる。我々は、このシステムが、冷え切った政治への信頼を、少しずつでも取り戻すための確かな光になると信じている。

終章:新たな一歩、そして私たちの責任

もちろん、我々が提言した「同意に基づく検証システム」も、万能の魔法の杖ではない。

例えば、二重国籍の問題のように、候補者自身に「無いことの証明」(悪魔の証明)を求めるような、極めて困難な領域が残されていることも事実だ。そうした難問には、また別の、より深い議論が必要となるだろう。

しかし、そうした課題の存在が、この提言の価値を少しも損なうものではない。なぜなら、このシステムは、学歴や職歴といった、これまで幾度となく選挙の争点となり、有権者を落胆させてきた領域において、明確かつ現実的な改善をもたらすからだ。

この記事を通じて、私たちは「なぜ選挙の嘘はなくならないのか」という素朴な怒りから出発し、制度設計のジレンマ、世界の試行錯誤を経て、一つの具体的な提案にたどり着いた。

その核心は、選挙における物語を、候補者が有権者を「騙すか、騙さないか」という不毛な対立から、候補者が自らの「誠実さ」を証明し、有権者はその情報をもとに「責任ある選択」をする、という、より成熟した関係へと書き換えることにある。選挙管理委員会の手間が増えてしまうことになるが、失われた信頼を取り戻す価値に比べれば、それは小さなコストではないだろうか。

政治への信頼は、完璧な制度が自動的に生み出すものではない。それは、候補者が透明性を選び、メディアが健全な監視機能を果たし、そして私たち有権者が、与えられた情報を元に、賢明な判断を下そうと努力する、その不断の営みの中から、かろうじて生まれてくるものだ。

我々の提案は、その営みを助けるための一つの、ささやかな確かな「道具」に他ならない。

この記事が、単なる批判や諦めを超えて、私たちの民主主義をより良くするための一つの「たたき台」となれば、それに勝る喜びはない。

さあ、あなたはこの提案を、どう考えますか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました