『岩盤』の壊し方・実践編:農水省と政治家への「処方箋」

哲学・思想

序章:メスを握る前に、患者を深く知る

これは、我々が前回提示した「外科医のメス」という方法論の、実践編である。 我々は、硬直したシステムという「岩盤」を打ち砕くには、相手の心理(バイアス)を理解し、その思考をハックする必要があると論じた。そのメスを、かつて我々が描いた物語、『令和の米騒動』の具体的な登場人物たちに向けてみよう。

我々は前回、硬直したシステムという「岩盤」を打ち砕くには、相手を論破しようとする「棍棒」ではなく、相手の心理(バイアス)を理解し、その思考をハックする「外科医のメス」が必要だと論じた。

では、そのメスを、具体的な「患者」に向けてみよう。 我々の最初のブログで描いた「令和の米騒動」。その中心にいた、旧態依然のシステムを維持しようとする「農林水産省」と、トップダウンで市場に介入した「小泉大臣」

彼らを「抵抗勢力」「ポピュリスト」と断罪するだけでは、何も生まれない。彼らの思考をバイアスという観点から「診断」し、具体的な「処方箋」を描くこと。それこそが、未来への第一歩だ。

第1章:農林水産省への処方箋 ―「失う恐怖」を「新たな誇り」に転換せよ

まず、最も分厚い「岩盤」である官僚組織、農林水産省から始めよう。

【診断】 彼らは、巨大な「損失回避性」「現状維持バイアス」の塊である。戦後の農地改革から続く「減反政策」は、単なる政策ではない。それは彼らの権限、予算、そして「我々が日本の食を守ってきた」という自己同一性そのものだ。改革とは、彼らにとって自らの存在価値を失う「死」に等しい恐怖なのだ。

【処方箋】 この強固な自己防衛本能を、新しい方向へと導く必要がある。

  1. 処方箋①:「沈みゆく船」の未来を直視させる 改革の目的を「古いものを壊す」から「このままでは確実に沈む船から、皆で生き残るための脱出」へと再定義する。「このままでは、世界の農業ビジネスから取り残され、食料安全保障は形骸化し、国民から見放された農水省は、予算も権限も、そして誇りさえも全て失う」という、「何もしないことによる、より大きな損失」を、具体的に、冷徹に提示するのだ。
  2. 処方箋②:新しい「聖域」と「誇り」を与える 彼らから「国内の生産調整」という古い聖域を奪う代わりに、新しい聖域を与える。それは「日本米を世界のトップブランドにする、国家戦略の司令塔」という役割だ。高品質な日本米を武器に、世界市場を席巻する。そのためのデータ分析、ブランディング、国際交渉を担う、攻めの組織へと生まれ変わる。「国内の調整役」という守りの官僚から、「世界の食市場を獲りに行く」攻めのエリート集団へ。失う過去の栄光よりも、はるかに大きな未来の誇りを提示するのだ。

第2章:政治家(小泉大臣)への処方箋 ―「ヒーロー」から「名外科医」たれ

次に、改革の執刀医たるべき政治家。米騒動における小泉大臣の行動を例に考えよう。

【診断】 彼の「鶴の一声」は、国民の喝采を浴びた。これは、民意を動かす力を持つ、優れた政治家の資質だ。しかし、その行動は根本治療ではなく、一時的な痛み止めに過ぎなかった。これは、有権者の顔色を常に意識し、短期的で分かりやすい成果を求めてしまう「ポピュリズム・バイアス」の現れとも言える。

【処方箋】 その類稀なる発信力は、一体何のために使われるべきか。その答えこそが、単なる人気政治家と、歴史を創る政治家とを分かつ。

  1. 処方箋①:自らの役割を「ヒーロー」から「外科医」へと再定義する 国民的人気という麻酔を効かせられる今だからこそ、痛みを伴う根本治療に踏み込むべきだ。ヒーローは、民衆の前で怪獣を倒す。だが、名外科医は、見えない病巣を静かに、しかし確実に取り除く。喝采よりも、数十年後の国民からの「あの手術があったから、今の豊かな食がある」という感謝こそが、真の政治家の栄誉であると自覚すること。
  2. 処方箋②:「物語」というメスを振るう 大臣の最大の武器は、国民に直接語りかける言葉だ。その力を使って、農水省への処方箋①と②を実行するのだ。国民を証人とし、「沈みゆく船の恐怖」「新しい司令塔という希望」の物語を、繰り返し、力強く語る。世論を味方につけ、官僚組織が動かざるを得ない状況を外から作り出す。これが、政治家にしかできない、最も強力な外科手術である。

終章:創造的破壊は、優れた外科医術から生まれる

岩盤規制の破壊は、決して暴力的な打倒ではない。 それは、患者(旧システム)の体質(バイアス)を深く理解した、知的な外科手術だ。

そのためには、手術の執刀医(政治家)が自らの役割を正しく自覚し、患者(官僚組織)の恐怖心を取り除き、未来への希望という新しい血を送り込む必要がある。

私たちの基本理念にあるように、「人間は自覚と想像力によって、地球の救世主になり得る」 。 この困難な社会課題もまた、関係者一人ひとりが自らのバイアスを「自覚」し、新しい日本の農業の姿を「想像」することで、必ず乗り越えられる。それこそが、我々が信じる「人間」の可能性だからだ。


編集後記:想像力を鍛えるための「思考の断片」

この記事で提示した「外科的アプローチ」。では、具体的にどのような「メス」が考えられるでしょうか。これは完成された答えではありません。私たち編集部が、希望を失わないためにブレインストーミングした、いくつかの思考の断片です。これが、読者の皆様のさらなる「想像力」の起爆剤となることを願って。

  • 政治家には「属人的なリーダーシップ」だけでなく、「改革断行チーム」という制度的グリップが必要ではないか…
  • 官僚組織には、徹底した「情報公開」という外圧と、「人材の流動化」という内側からの揺さぶりが必要ではないか…
  • 私たち市民にできることは、この複雑な問題を諦めず、関心を持ち続け、そして「物語」の力で世論を動かしていくことかもしれない…

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